『自分を陥れた人に感謝しよう』

これは、最近読んだ記事で特に考えさせられたテーマ。


嫌なことがあれば、愚痴を言うのは簡単。
でも本当にそれで良いのか…?!
自分に問いかけてみる。


●『不遇には原因がある』


スポーツの世界では「偶然勝つことはあるが、負けるのには必ず原因がある」
といわれる。
野球でもサッカーでも、相手のミスで勝つことはある。
しかし、偶然負けることはない。
例えば、野球であればエラーやピッチャーの四球による自滅、継投のミスなど、
サッカーであればオウンゴールやレッドカード、コンディション不良など、
負けたときの原因は何か必ずあるといわれる。


この考え方を『不遇の話』に適用しようというのだ。


不遇な状況となることは、スポーツで負けることに当たる。
例えば、
会話の中で、生意気ないい方になっていなかったか。
客観的に見て、意見が本当に正しかったのか。
意見が正しいとしても、いい方に問題がなかったか。
他人の意見に耳を傾けず、自分の意見を無理強いしなかったか。
など。
何も思い当たることがなくても、
意見をいい出すタイミングが良かったのか、
意見をする相手の根回しが正しかったかどうかなどを顧みてみる。


●『不遇は自分を見つめ直す絶好のチャンス』


不遇な状況に追い込まれない限り、
自分の行動に思いをめぐらすことはなかなかない。
何をやっても上手くいく時は、文字どおり何をやっても上手くいく。
ただ、こういう時期は、自分の行動をいちいち検証したりはしない。
自分の思った通りに全部いき、成功しているのだから。
自分の行動は常に正しいと思い込んでしまう。

しかしこんな時、自分の行動の悪い所に気付かず、
多くの人を傷つけている場合がある。
ついつい有頂天になり多くの人から反感を買い、
ちょっとした隙をついて、誰かがを引きずり下ろしにかかることがある。
そうなったら最悪だ。
つまり、
こういう時にしか自分の悪いところに気付かないといえる。


●『不遇な状況に追い込んだ人に感謝する』


これはなかなかできるものではない…が…


不遇な状況になった時、自分の足を引っ張った人に感謝なんてできない!!
しかし、前述のように自分を見つめ直すことが出来たのなら、
不遇に追い込んだ人を恨むことにわざわざ時間を浪費せずに済む。
前向きにその原因を考えて、
以後の人教訓にするという発想の転換をしようというのだ。


以上の3トピック、これが実践できたのなら凄いと思う。
正直、今の自分に出来るとも思えない…。
しかし、何事もやってみないで文句ばかり言っていても腐るだけ。
やってみることに意味がある。
その考えだけは今の自分にもある。


だから…