先日ある会社の方と「プロとは何ぞや。」

という話題で、非常に盛り上がった。
わたくしが、ヒジョーに大好きなテーマということもあるが…^^;


その方いわく、「プロフェッショナルであるということは、お金をもらって仕事をすること」だそうだ。
具体的には、
●仕事ではお金の授受を伴う契約が発生するということ、
●契約に相応しい成果を提供すること、
●提供物や労働の対価として報酬があるということ、
●それと同時に責任も付随するということ、
●そういった全てのことをよく理解するようにというもの。


金銭を伴う契約を遂行するという堅実さだけではなく、
時としてドライに割り切る勇気も必要だと言っていた。
仕事の過程で“こうしたらもっと良くなる”的な機能が次々と思い浮かぶことがある。
そしていつのまにか納期のタイムリミットが近づき、
地獄の無限ループから抜け出せなくなってしまう。


柔軟に対応するのは非常に素晴らしいこと。
しかし、作品の完成度を追求するあまりに、
全体の収拾がつかなくなってしまってはまったくのお笑い。
支障がない範囲なら柔軟に対応することは悪いことではない。
ちょっとした機能の追加でも、驚くほどに使い勝手がよくなることもあるし、
柔軟な対応がクライアントや社内の評価につながることも多い。
しかし、当初の見積もりから大幅に作業量が変わるようなことも、
当初のラフ案から原形をとどめないほど変化した作品が出来上がってしまうのも、
あまり良いこととはいえないと思う。
クライアントというものは、わがままを絵に描いたようなものなので、
軌道修正が必要になることは多い。
そのときはやはり、抜本からの見直しや条件変更をしてもらうことが大切だと思う。


技術力や経験を積むと、スタイルを確立する人が多い。
中には作品の完成度に異様なほど執着する人もいる。
その人の「理想のかたち」の基準があるようだ。
過去にある会社で、間違いでもなんでもないのに、
渡されたものが自分の感覚と合わないという理由だけで、
延々と後輩を叱りつけていた先輩を目撃した。
よその会社さんなので、どうこう言える立場ではないが、ちょっと理解しかねる。
作品の完成度を追求するのは素晴らしいが、周囲に迷惑をかけてしまっては…。


独りだけで仕事をすることは稀だと思う。
たとえフリーランスで仕事をしている人でも
何かしら会社なり、同じフリーの人と関わっていると思う。
独りよがりになってしまっては、仕事もできないし、
それこそ“良い作品”だって出来るわけがない。
自分に足りないもの、
自分が考えつかなかったもの、
新しいものの見方、
ミスをした時のフォロー、
スランプ時におけるカバーリング
数えだしたらキリがない。


今、こうして書いていながらも過去のありがたみを実感している。