「やればできるんだ」。

こういう考えが、意識の中から無くなるのは、かなりヤバイ気がする。
だってそう思わなかったら、
人間何もやろうとしなくなっちゃうから…。
「やればできるんだ」ということを、
一度でも実感したことがある人は、幸せだと思う。
「やればできるんだ」で、だいたいのことはできると思う。
できないことがあったとしても、
それは、ものすごく特殊なことだけであって、
すべてのことは「やればできる」と
言っていいのかもしれない。
もっと身近なもので言えば、
それは「金で買えないものはない」という理屈によく似ている。
たまに金で買えないものがあるように見えるけれど、
それでもほとんどのことは金で買えるように思われている。
そんな感じだ、「やればできるんだ」はね。


ただ、
『“やればできるんだ”が通用しない世界も、
実はたくさんあるのだ。』ということも忘れてはいけない気がする。


たとえば、恋をしてうまくいかなかった経験があるなら、
「やればできるんだ」じゃない世界が存在することに、
実感するだろう。
仮に、恋愛の勝者というものがあるとしたら、
それは「ヤル気のあった人」だとは限らないでしょう。
なぜある人が付き合うことができて、
別のある人が振られたのかのかについて、
「努力したからだよ」とは絶対に言えやしない。
努力しようが、がんばろうが、
できないことがある、ということは、確かにある。
その時はきっと、「しょうがない」と言うのだろうな…。
でもここで言う、“本物の”「しょうがない」と、
そこらへんの「しょうがない」とは、
一緒にはしてほしくない。


「成せば成る」だとか、「やればできるんだ」は、
先生と呼ばれれている人や、親などには、
教えやすい考え方なのだけれど、
「しょうがないこと」の方は、教えられるのだろうか…。
ヘタに教えると、
非常に薄っぺらい「シラケ」だの「あきらめ」に
変換されて身についてしまう怖れがある。
しかし、「しょうがない」を経験しないままで、
生きていくのは不可能だし、
それは、ほかの人にとっても非常に危険なこと。
「やればできるんだ」のみで突っ張っている人を
“カッコイイ”だけで見ているのはいかがなものか…。
下手に挫折を知らずに生きてきてある日突然…
「こんなに愛しているぼくを、
あなたはどうして好きにならないんですか?!」
なんてヤツになってしまったら…
かなりこわいゾー。


だからといって、
「やればできるんだ」の気持ちを忘れてしまってはいけない。
それを持ちつつ、
「しょうがない」ものと上手く融合させて、生きて行きたい。
そうすれば、
人の痛みや悩みにもきちんと向き合える、
『本当のやさしさ』を持った人間になれると思う。