自分からできるだけ言わないようにしているのが、

「こだわっているんだ!!」という言葉。
褒め言葉の意味で、
「凄く、こだわってますねぇ」などと言われたら、
とっさに、「いや、そんなことないです!」とか、
つい言ってしまうことがある。
相手の方は、「だから良い」んですよねと、
好意でこの言葉を使ってくださってるので、
わざわざ否定するのも失礼だと思うのだけれど、
ああその褒められ方は“ヤバイ!”、という気がするので、
やっぱり否定しておきたくなる。

以前は、
「こだわり」を持つんじゃない、とか、
「こだわり」すぎなんだよ、とか、
そういう悪い意味として使われていた言葉が、
いつのまにか、逆に褒め言葉になってしまった。
同じように、
「頑固」という言葉もそうだ。
強情だとか因業だとかの意味が強かったのに、
知らないうちに「アイツも、頑固だなぁ」などと、
ある種の尊敬をこめて使われるようになった。

これらのイメージが肯定される理由も、
分からないわけじゃない。
「こだわり」にしても「頑固」にしても、
「相手からすると、非常に分かりやすい」
という利点があると思う。
ちょっと極端な例だけども、
「俺は、絶対に自分から彼女を振ったりしない!
これだけはこだわってるんだ」という、そんな
“凄い”人がいたら、相手は付き合い易いだろう。

逆に、なにをするか分からないというイメージは、
「相手からすると、理解しにくい」から、
なんとなく避けられがちになる。
男らしいのか、女らしいのか分からない人だとか、
理論的なのか直感的なのか分からない人とか、
明るいのか暗いのか分からない人だとか、
とにかく、「どっちなんだ?!」と聞かれやすい人。

社会人をやっていると、
嫌だと思う人とでも、付き合っていかなくちゃならない
場合がある。
そんな時、
少しでも、何を考えているのか分かると
非常に助かる。
よく、
『○○らしいよね!』とか、『スタイルを確立している』など、
よく憧れの芸能人の好きな理由で挙げられることが多い。

しかし、
本当にそれで良いのか…?!

人と人とが密接に絡み合っている社会の中で、
誰も彼もが好きかって言っていたら、
それこそ、喧嘩や争いは尽きないと思う。
ある種、気を使いながら生活するのは、
人として当然。
そんな限られた環境下で、『自分らしさ』を
さりげなく出せる人は、カッコいいと思う。
まさに、“大人”って感じがして…。

そんなことをいっても、
きっと“普通の人”からしたら、
「こだわっている」と思われているような気がする。
仕事柄、「頑固」とか「こだわり」を、
芸風にしている部分もあるので…。