これからの自分を、どういうふうにスキルアップしていくかとか、

これからの自分の立場をいかにして向上させるだとか、
これからの自分にもっと多くの利益がくるようにする、だとか、
そういう自分を中心にした考え方や生き方は、
いけないことではない。


ぼくはきらいだが…。


いわゆる「自己チュー」と言われるような、
他人の迷惑を気にしない態度を取っていたら、
他人の手助けも得られなくなって、
結局、
自分の不利益になってしまうのだから、
社会生活を“ごく普通”に過ごしていて、
自分中心の生き方をしているというのは、
なんの問題もないと思う。


しかし、不思議なもので、
自己チューな生き方を繰り返している人に限って
そうでない生き方をしていると思っている人が多い。


そんな人達でさえも、
本気で好きな人ができた時は、
その人が世界の中心になったりする。
その中心の周りを、その人がが回っているのだ。
結婚して子供ができたりすると、
「彼氏」「彼女」から、
「おとうさん」「おかあさん」と、
子供を視点にした呼び名で呼ぶようになるように…。


会社人間とか周りから陰口を叩かれているような人が、
会社のためを思って懸命に働いている時には、
自分は、世界の中心にはなく、
会社が世界の中心になっているのだろう。


海外に目を向ければ、
国という視えないものを、
人類という抽象を、
芸術という観念を、
つまり自分以外の“なにか”を世界の中心に置くと、
自分を中心に置いている状態よりも、
自由になったり、楽しくなったりすることもあるという。


それじゃぁ、「自己ってものがない!!」と、
いう人もいるだろう。
だけど、
世界中の人たちの大多数は、
何かしらの宗教を持って生きている。
彼らは、自分ではなく自分の崇拝する神を世界の中心に据えて
人生を送っているということだ。


ということは、自分を中心にして
目立とうとしたり、
金儲けしようとしたり、
幸せになろうとしたりしているのは、
世界から見たら、
けっこう少数派の人達ということになる。


自我が強いわりに、
周りから、
「もっと自己アピールをしろ!!」と、
言われてきたけれども、
世界の中心の位置に自分を置くことなんて
考えてみたこともなかった気がする。


たぶんそれは、
そうしてしまったら、
『自分らしくない』と、
分かっているからだと思う。