同じことを何年もやっていると、

だんだんその仕事にも慣れてくるし、
「ああ、オレはこの仕事に向いているかも…」と、
調子に乗っちゃったりする。

そりゃ、ぼくなんかでもそうだ。
今までに、何度となく、仕事が順調に進んだりすると、
「ああ、こういう仕事があってよかった。しかも、天職じゃないのか!!」と、
思ったり言ったりしてきたもの。


しかし、今さらだけれど、
「そんなことはないよな…^^;」と思う。
だいたい、自分のこどもの頃は、
今、自分がやっているような
インターネットに関わる仕事はこんなにメジャーじゃなかったし、
一部のマニアックな専門家や学者風情がやっているものだったはず。


自分が、何に向いているのかは、
かなり長い時間悩みの種になったりするような問題だ。
本当に向いていることでないと、
どんなに上手くいっても限界にぶち当たる。
逆に自分に向いたことなら、あんまり苦労しなくても
上手く成功できる、などと考えるのが普通かも。


世界の優れた料理人のインタビューとかを読んでも、
かなり大多数の人たちが、
「子供の頃はとても貧しい生活でした」というようなことを語っているのだ。
味覚は幼いころに基礎ができるらしいので、
さいころからおいしいものを食べていないと
食のセンスが磨かれない、のだと思っていたけれど、
世界的料理人やら料理名人やらが、
貧しい時代に、センスを磨き続けていた
ということではないらしい。
他にも、美術のセンスだとか、音楽の才能だとかにしても、
かなりの部分は、付け焼き刃の鍛錬の連続でカバーできるかもしれない。


こんなふうに、いろいろな角度から向き不向きについて
考えていくと、本当に判断なんかできないのかもしれない。
やっぱり、飽きずに、投げ出さずにずっとやっていくうちに、
自分の改善すべきところに気づいたり、
足りない箇所を修練で補ったりしていくのだろう。
そうしていくうちに、その仕事でお金をくれる人も現れて、
その仕事を続けていくだけの経済的な基盤ができあがって、
もっと続けるから、もっと上手になっていく。
こんな感じで、「向いている」に成長して行くのじゃないのかな…。


もの凄くそれに向いていて、つまり巨大な才能があるんだけど、
認められないという人も、
いることはいるのかもしれないけれど、
実際には、その巨大な才能が、
他人に発見されにくいってところに、大問題があるわけで。
他人に分かってもらえない環境で「スゴイ」なんてことは、
表現としては正直キビシー。


今、こうしてエラソーにブログなんてものを
書いているけれども、文才なんてものはあるはずもない。
けれども、こんなふうに、
いちおー文章を書いているわけだから…。
それに、向いてるとか向いてないとかについて、
答えが見つかるまで何もしないでいたら、
ほとんどの人は、一生ニートになっちゃうかもしれないし。


とにかく、どんなこともまずは
『はじめる』ことだと思う。
とにかくはじめてみて、
失敗したり、認められなかったりして、
それでも、
どこがいけないか、
どこが良いのかを探して、
次の段階に進める気になれたら、
最初よりは、成長しているわけだし。


向きだの不向きだの、考えてる場合じゃない。
『はじめる』ことだ!!


恥をかいたり、
批判されたり、
褒められたり、
人として成長するためにも、
そう…
まずは、『はじめる』ことだ。